生前葬がやりたい!生きてるうちに自分の葬式やっちゃうゼ!



少し前から「生前葬がやりたいなぁ」と思うようになりました。


あ、いやいや。


まだまだ死ぬつもりなんてないですし、生きている限りもっともっと生を味わい尽くしたいと思ってますよ。


だからこそ「生前葬」っていいなと思うわけです。


そんなわけで今回は、生きてるうちにやる葬式、生前葬の話です。


お葬式は「本人不在」で開催される


入学式・卒業式・成人式・結婚式・表彰式・授賞式…などなど。


○○式と呼ばれるセレモニーは大抵の場合、その式の主役を中心として開かれます。


そりゃそうですよね。


結婚式に新郎新婦がいないとか、成人式に成人が1人もいないとか、それじゃあ式が成立しません。


ところが葬式だけは主役がいないまま式典が執り行われます。


なんせ本人は死んじゃってるんで参加不可能ですからね。


ある意味では、この世に「残された人」が主役なのかも知れませんが、本人そっちのけで式が開かれちゃうというのも、よくよく考えれば変な話です。


故人の死を悼んで、足を運んでくれる人、泣いてくれる人がどんなに多くても、本人は感謝の言葉を伝えることすらできません。


だって、その時には、もう棺桶の中で死んじゃってるんですから。


そこで自分の葬式に参加する方法が「生前葬」です。


生きているうちに自分の葬式を自らが喪主としてやっちゃうという荒業ですが、これは本当にいいアイデアだなぁと僕は思います。


死んでからは何もできない


死んでしまってからは基本的に何にもできなくなってしまうので、生きたままの状態で自分の「死のセレモニー」をやる感じです。


霊魂の状態でできることがあるのかも知れませんが、それは今は確かめられません。


本人が生きたまま主催する葬式=生前葬であれば、参列者に感謝も伝えられます。


思い出話に花を咲かせることもできます。


おいしいものを参加者全員で食べたり、記念写真を撮ったり、ゲラゲラ笑い合うこともできます。


喪主ですから、まさにMC(マスター・オブ・セレモニー)。自らの葬式を思い通りに仕切れます。


それって多分、最高に楽しい時間ですよね。


間違いありません。


繰り返しますが、死んでしまっては、そういう楽しい時間を味わうこともできなくなってしまいます。


それってホントにもったいないと僕は思うんです。


パーティータイムをみすみす見逃すようで、何だか現世に悔いが残ってしまいそうです。


生前葬は何度でも開催可能。


普通の葬式は1回きりですが、生前葬なら(生前である限り)何回でも開催可能です。


まだ生きているんで喪服を着る必要もありませんし、香典も数珠も要りません。


参列者は普段着でもオシャレしてもオッケーです。


その辺も喪主のさじ加減ひとつ、まさに自由ですね。


親しい人が集まる楽しい場なんて何回あってもいいですよね。


初回の生前葬は家族と、第2回生前葬は親族と、第3回は同級生と…、そんな感じで小規模の生前葬を何度もやってみたいなと僕は思います。


死ぬまでの恒例行事として、毎年、決まった時期に、生前葬やるのも良さそうです。


年中行事的に何回もやっていると、それはもはや「生前葬」という名の「飲み会」になってしまうかも知れませんが、それはそれでいいと思います。


要は本人がどう思ってその場(生前葬)に臨むかとうことですから。


何の気なしに開かれる飲み会ではなく、生きてるうちにやる自分の葬式だと思っていれば、そこでの過ごし方はまた違ってくるでしょうからね。


本人参加型の先取りパーティー:生前葬。


感謝を伝えたり、写真を撮ったり、生きてるうちにしかできないことをやっておく機会にピッタリだと思います。


まとめ


人間の致死率は100%なので、いずれ僕も皆も間違いなく死んじゃいます。


タイミングが早いか遅いかだけの違いです。


そのときやる本来的な葬式は、もうしなくてもいいと周囲の人が思ってくれるぐらい生前葬をやれれば僕は本望です。


僕は今36歳なので、生前葬やるのはちょっと早いかな…。


そうですね…40歳になったら、毎年、何らかの形で、生きている限り生前葬をやっていこうと思います。


楽しく何度でもやる生前葬、生きてる間であれば誰にでも何度でもやる権利があります。


本人参加型の葬式を楽しみたいです。


なんといっても、この世にいられる間だけの特権です。


生前葬ができるのも
生きてる今のうちだけだゼ!