人体解剖の思い出



僕は医療系の大学(医学部ではない)に通っていたのもあって、人体について割と詳しく学びました。


解剖学と呼ばれる学問では、骨や筋肉などを勉強していきます。


最初は結構リアルな絵、次は写真、さらに部分的な標本やレプリカ、全体的な標本やレプリカ、最終的には実際に人間(ご遺体)を使わせてもらって人体解剖を行うというカリキュラムが組まれていました。


覚えることがメッチャ多くて、結構ハードな科目だったのを今でも覚えています。


解剖実習の流れ


そんな解剖学を段階的に学び、単位を取得して、最終盤戦で行うのが人体解剖実習です。


実習はこんな感じで進められました。


まず地下の実習室に学生が集められ、先生からしっかりと行程や観察ポイントなどを説明されます。


説明終了後、白衣・マスク・グローブを身に着けた状態で実習スタートです。


6~7人が1つの班となり、それぞれの班のテーブルにご遺体が運ばれてきます。


防腐処理なのか、保存液なのか、ちょっと嗅いだことのないケミカルなニオイがしましたね。


死臭とか腐敗臭みたいな不快感はありませんでした。


目の前に「死んだ人間」がいるという非日常な状況ですが、順序を踏んで人体について学んできた医療従事者のタマゴということもあり、みんな落ち着いたモンです。


ご遺体と目が合わないようにするためか、まぶたのところにテープが貼られていました。


それ以外は全裸の状態です。


性器も丸出しです。


死後、ご遺体を献体として提供してくださった方の個人情報は一切明かされません。


性別は見て分かりますが、名前も出身地も死因も分かりません。


僕の実習組では気分が悪くなったり失神しちゃう学生は1人もいませんでしたが、やっぱりフラッと倒れちゃう…ということも稀にあるとのこと。


緊張や想像で気分が悪くなってしまうのは個人差ですかね。


僕自身も、ある種の耐性が知らぬ間に身に付いていたようで、解剖実習でご遺体の目の前にしたときも嫌悪感や恐怖感など負の感情は特にありませんでした。


保存の関係で水分が適度に抜けてますし、もちろん出血なんて一切ありませんから「人間の遺体」という感じではなく、あくまでも「教材」が目の前にあるという感覚でした。


ちなみに筋肉は「干し肉」みたいな状態になっていましたよ。


実習開始


準備が整うと先生の号令で、ご遺体を提供してくれた方々に合掌し全員で黙祷を捧げます。


静まりかえった実習室は、一気に張り詰めた空気で支配されました。


ご遺体を提供してくださった方のおかげで実習ができるので心から感謝しました。


「ありがとうございます。しっかり勉強させてもらいます。ありがとうございます。」と手を合わせました。


先生の合図で黙祷をやめ、そこから人体解剖実習の始まりです。


僕が通っていたのは医学部ではないということもあってメスを使うことはなく、既に解剖されたご遺体の内臓や血管・神経の位置を確認したり、順番に内蔵を取り出したりして大きさを観察するという比較的ソフトな内容でした。


印刷物や映像で学ぶのと、実際に目の前にあるご遺体(人体)を見たり触ったりするのとでは、やっぱり全然ちがいましたね。


「大動脈弓(心臓から出る太い血管)ってこんなに厚くて太いんかー!」とか


「肺ってこんなフワフワした触感なんやー!」とか


そういう感動は今でも鮮明に覚えています。


同期の面々も静かに学問的な興奮を感じながら実習を進めたと思います。


繰り返しますが、ご遺体を提供してくださる方でいてこそ実施できる有意義な実習なので、感謝あるのみでした。


実習終了後


実物(ご遺体)を使わせて頂く実習も2時間程度で終わったと思います。


片付けをし、最後にもう一度、全員で合掌し感謝して解散しました。


結局、気持ち悪くなったりオエッと吐きそうになることも一切ありませんでした。


いま思い返してみれば本当に貴重な体験だったなぁと思います。


学校によっては中国に行って実際にメスで切っていく解剖実習をするところもありますし、ハワイで解剖実習するという医療従事者向けのセミナー(?)みたいなのもあります。


参考:解剖実習アカデミー(広告ではない外部サイト)


解剖実習の後、単位も出て、卒業もして、今の仕事に就いているのですが、僕が死んだときも献体に回してもらいたいと最近になって思うようになりました。


僕の体も誰かが勉強するのに使ってもらいたいです。


ちょっとでも医学に恩返しできればと思います。


なんせもう死んじゃってるんで切り刻まれたりしても全く痛くありませんしね。


献体については、また詳しく調べて記事に書こうと思います。


もし興味のある方がいらしたら、そちらも読んでみてくださいね。


後に調べて書いた記事:「献体」という死んでからのボランティア